クリストファー・ラッシュ

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エリートの反逆[編集]

エリートは国家という枠組みや束縛を嫌い、結果として国家を危機に追いやっている。オーガニゼーションマン→ゲームズマン

  • 民主主義を支えるのは議論だが、専門的な知識がないというそれだけの理由で多くの人が議論から切り離されてきた。
  • 多様性は本来とは違った使われ方をするようになった。マイノリティが多様性の中に閉じこもるのである。
  • 世の中がせわしなくなり「会話」の機会が失われた。また異なる階層の人たちの間では会話が成り立たなくなった。
  • オルデンバーグが「第三の場所」と呼んだ公共スペースはなくなり、人々はそれぞれのクラブに引きこもる。その結果人々が生きる喜びを得られる手段を限定することになってしまった。
  • 民主主義に必要なのは「公共的論争」であって、情報ではない。情報がいくらあっても引き出せなければ意味がない。世界に関する自分の考えを論争というテスト装置にかけて、初めてどんな問いが正しいかを知ることができる。
  • 自分自身を他者に説明することによって初めて自分を知る事ができる。

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ナルシシズムの時代[編集]

  • ナルシストは自分が全能だという幻想に囚われているくせに、その実、自分の自尊心を確認するにも他に頼らなければならない。
  • 自分のパーソナリティが市場価値のある必需品だと思い込まされている。
  • 真実でもいつわりでもない、信頼だけに裏打ちされたステートメントがそこら中を飛び交っている。
  • ナルシズム患者は「自分が、偉大で、金持ちで、権力のある人々の仲間でないことを恐れる」
  • いつも鏡を覗いて自分を確認しなければならない。
  • 市民の育成から近代化のための統制へ変化した。基礎教養を身につけさせることをやめて、統制に力が置かれるようになった。そのうち「能率化」が説かれるようになった。さらにそれが平準化へと向かい「挑戦させる事」を諦めさせるように進化した。(アメリカではこれが1950年代に起こった)平等主義を唱いながら、エリート以外は知的努力はできないと考えているのである。