新聞の歴史

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複数の本から見た新聞の歴史。特定読者向けのパンフレットが原型になっていて、商業化・一般化が進む。その後それを取りまとめるためにジャーナリストという概念が生まれ、倫理規定が作られた。

新聞の歴史[編集]

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  • バビロニアでも新聞は出されていた
  • 1525年にドイツでニュースパンフレットが発行される
  • 1591年にドイツで定期ニュースが発行された。
  • 1625年に週間ニュースが広告付きで生まれる。
  • 1631年にルノドーという医師が職業斡旋所でガゼット紙を発行。
  • 1720年12月、ロンドン・デイリークーラントが発行される。パブやコーヒーハウスで集る人たちに新聞を読んでやった。アン女王が1721年に新聞税を取るようになり、150年も続いた。
  • 1765年にイギリスの新聞税に対してアメリカが反発。
  • 1766年に条例が撤回される。
  • 1833年にベンジャミン・デイがローカルニュースや事件情報を売り物にしたニューヨークサンが出てきた。1セントという低価格。新聞売りの少年を雇った。
  • 1835年独立系(つまり政党と関係がない)ヘラルドが金融街を敵視して大衆の支持を集めた。

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  • ジャーナルオブコマースが外国から来た船を抑えて特ダネを連発する。ここから通信網が整備された。
  • 1849年に共同でニュースを扱うAP通信社が出てきた。外国から着いた情報と新製品が評判に。

ジャーナリズムの倫理規定が必要になり1924年にヨストが「ジャーナリズム原理」を提案。News+Viewがジャーナリズムだと定義した。

コーヒーハウス[編集]

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  • 情報の交流点となったコーヒーハウス。健康飲料コーヒーがトルコから紹介される。ロンドンは共和制下で禁酒運動が起きていたのでヒットした。
  • もともとイギリスはパブで商取引をする習慣があった。
  • パブの話し合いから政策が作られ、地方政党を経て、政党が作られた。

こうした集会を禁止するとさらに敵対され情報漏洩もある。噂の発信源になるので、コーヒーハウスは情報発信地になった。

  • 1688年にロイズ・コーヒーハウスが作られた。手紙を書く場所があり、新聞・ニュースレターが置かれた。ここに情報が集り始め、後にロイズ海上保険組合が作られた。1844年にコーヒー室は外注されてロイズコーヒーハウスはその役割を終えた。